平安時代初期から続く、清水寺の歴史|長野市松代町 清水寺(北信濃厄除大師)

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清水寺縁起

 信州の古刹、真言宗豊山派・龍燈山蓮華院清水寺(通称:北信濃厄除大師)は、もろもろの災厄をことごとく消除する厄除大師として、霊験あらたかなことは、むかしから有名であります。総本山は奈良・長谷寺です。

 開山は今から1200年ほど前、延暦22年(803年)、寛空上人が開山したと云われており、坂上田村麻呂が東北に遠征に向かった際に、戦勝祈願が為に建立されました。
 開山当時は「当村十二原に七堂伽藍備わり居りし」と云われておるように、五重塔・金堂・書院・回廊等が備わった大規模な伽藍を有した寺院だったと云われておりますが、創建後しばしば火難に遇いました。
 火難により一時衰亡に瀕したものを川中島決戦の折、武田信玄公より供料を給わり伽藍を再建いたしました。依って武田家が中興開墓となっております。
 江戸時代に入り、徳川家の祈祷寺として供料を給わりました。その際、三葉葵を寺紋として頂いております。また、松代藩の城主である真田家のお殿様は、菩提寺とここ清水寺の二箇寺においては、お殿様と云えども馬を降りてから門をくぐらなくてはならないほど、格式の高い寺院でありました。

 その後、江戸時代正徳年間(十八世紀初)の火難により善美壮麗を尽くした堂塔伽藍は悉く焼亡し、享保年間(十八世紀初)、十二原から少し山を下った現在地に仮堂を建立し移転いたしました。

 1200年の時を経て今も、長野市松代町で皆様の幸せを祈念し、厄除け祈願、交通安全、地鎮祭、人形供養、水子供養等をお受けしております。
(長野県庁所蔵・寺院明細帳参照)

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