市宝 毘沙門天(平安時代初期・一木造りの仏像)|長野市松代町 清水寺(北信濃厄除大師)

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市宝 毘沙門天


pr_bisyamon.jpg*像  高* 158㎝

*材  質* 桂材一木造り

*造像年代* 平安初期(1,100年ほど前)

*仏  師* 不詳

*どんな仏様なの?*
 天部のほとけさまです。持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神です。また四天王の一員としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独立した一尊として信仰されています。日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが一般的とされています。
 密教においては十二天の一尊で北方を守護するとされており、日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、特に勝負事にご利益があるとして崇められています。






『清水寺の毘沙門天』
 本毘沙門天像も、他の清水寺所蔵の古像と同じく、桂材の一木造りの立像です。
 造像の年代は九世紀〜十世紀となりますが、江戸時代の補修の際の彩色になどにより、面貌が大きく変化しています。
 往時の伽藍の規模から推察するに、単体での毘沙門天像ではなく、四天王像のうちの一体である多聞天像として安置されていたと考えられています。

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